ニリンソウ 17~25編 (全25編)

 

 その17「ヨモギ治療の効果」

萱野留利助から萱野家の人々がこれまで体験してきた
様々な辛い思い出を聞いて、
藤岡は、自分の身に降りかかったことの様に
心痛む思いがしていた。

「只今!!、、、どう?藤岡さん!大丈夫?」
学校から帰り玄関に入るなり満の息せき切った声を聞いて
留利助と藤岡の話はそこで中断された。

満は、うがいと手洗いをすぐ済ませ
学生服から普段着に着替えると
早速藤岡の足の治療に当たった。
傷口は昨日に比べると明らかに
塞がって来ているように見えともかく出血は止まっていた。
「これなら、思ったより早く治るかも知れませんよ!
でもまだ無理をすると傷口が又開いて
治りが悪くなるかもしれません!
もう一日二日あまり動き回らない方が無難です!」
とまるで医者からの忠告のように満に諭された!

藤岡は甘えてばかりじゃなくて明日は札幌にどうしても
帰ら無くてはと思っていたがその言葉が妙に説得力があったので
結局治療を受ける為に次の日も
萱野家に面倒を見てもらう次第になったのである。

治療を終えると約束通り
満の数学を見てあげることになった。
満はどうやら
空間図形の問題に悩んでいたようで
「座標軸とベクトル」を利用して
最短距離を算出する問題がうまく解けないでいた。
藤岡が補助線を引くヒントを与えると
「なるほど!」と言ってその後はスラスラと
解いて行ったのだ。
他のいくつかの問題でも満はとても発想力がよく
藤岡が事細かに教えるまでもなく
図形の性質を上手に見抜いて見事に解答した。

その日の夕飯もアイヌの伝統料理である
凍らせた鮭の切り身の「ルイベ」や
「山菜」や「カボチャ」や「豆」を柔らかく形がなくなるまで煮込んだ
「チポエプ」と言う料理や雑穀ご飯などでもてなされた。
藤岡はいづれも美味しく
大自然の恵みをそのまましっかり頂く感じがして感激しながら
その日も遠慮なく大食いしたのである。

その18「力比べ」(全25編)

夕食後しばらくして留利助が
「藤岡さんは、どうやら腕っぷしが強いみたいだから
俺と力比べしよう?」と言い出し「腕相撲」を
することになったのであった。

留利助は今日の昼間 
藤岡に萱野家の諸々話をしたことで昨日にも増して
一層藤岡が「近しい存在」に思われ
「信頼に足る人物」と実感し始めていたのである。

留利助は子供の頃から「力自慢」で
これまで誰にも負けたことが無かったので
「クマ退治」をしたと昨日の夜聞いた時から
大男の藤岡に是非挑戦してみたくなったらしく
何時その話を持ち出そうか考えていた。
どうやら藤岡の怪我が思いの外
順調に良くなっている事も分かり
豪快な食べっぷりと二の腕の太さを見ていて
これなら安心と話を切り出したのだ。
藤岡は挑戦されてあの剣道時代の闘争心が湧いて来たのか
悪い気が全くしなかったので
「はい!お受けします!」と答えた。

するとがっしりして重そうな低い机を
どこかの部屋から息子の孝助と一緒に
持ち出して来た。
すっかり腕相撲の土俵が出来あがり
早速相撲大会ということになった。
藤岡はその時何故か足の痛みを全くと言って良いほど
感じていなかったので
怪我した足を机の斜め横前に投げ出して
反対足は胡座をかいて座り直し
浴衣の袖を捲り上げて右腕を机の上にぐーと差し出した。

孝助が審判となって留利助と藤岡の腕の組み合わせを
時間をかけて調整し「始め!」の合図と同時に取り組みが始まった。
組み始めてからは最初は留利助の力に
藤岡は押され気味であったが、その後は
一進一退なかなか決着がつかなかったが
気合を入れて切り返すと留利助の腕の甲を
机に押し付けた。
初めて力比べに負けた留利助は
悔しがって「もう一度!」と放った。
その後何度やっても結果は同じであった。
ついに留利助が降参して諦めると
満が笑顔で拍手して藤岡を讃えた!
笑いで包まれた楽しい夜を過ごす事が出来
藤岡は幸せで心満たされていた。
その後昨夜同様就寝前にもう一度
満が藤岡の足の治療を施してくれた。

その19「平和」

翌朝、藤岡は満と孝助が学校に出かけるのを見送ると
その後その日も昨日同様もう一度ヨモギの葉の交換を
留利助にしてもらった。もう傷口はほぼ塞がり
すでに瘡蓋(かさぶた)も出来始めていたので
空気に触れさせ自然治癒に任せても良かったが
留利助は「念の為に、、」と言って軽くヨモギの葉で
又治療してくれたのであった。

留利助は其の後「握り飯を今日も作っておいたので
昼はそれを食べてくれ!今日は夕方まで戻れないから!」
と言い残して、その日は猟銃使用の免許を持つ
留利助は村役場から依頼を受けていた「エゾシカ狩」に
出掛けてしまった。

藤岡は、その後昨日は途中になってしまった
野草研究の資料ノートを参照しながら
もう一度採取してきたサンプルとノートを見直して
自分が考える分析方法などの検討しながら
改めて文章に書き起こす作業などを繰り返した。
留利助が用意してくれた「握り飯」を昼時に
食べることを挟んで、学校から満と孝助が帰って来るまで
作業を続けて日を過ごしたのであった。

満が帰宅して治療を受けた後
昨日同様満の数学を見てあげると
その日は代数で複雑な三角関数の条件を導き出す
思考力を問われる難問で
正確な解答を見つけ出すのに流石の藤岡も
苦戦したが、満が答えを導き出すまでの
推論能力が優れている事を
改めて認識する事にもなったのである。

そうこうしているうちに留利助も戻り
萱野家一同が皆揃ったので
満も夕飯の支度に追われた。
そして前日、前々日と同様の楽しい夜を
過ごした藤岡は、
この「平和な楽しい時間」がいつまでも
続いて欲しいと思うのであった。

その20「手紙」
翌朝はもう藤岡の傷口はもう瘡蓋で完全に覆われ
改めて治療を施す必要もないほど具合良くなっていたが
それでも松葉杖を使わず直接足を床に着いて歩くと
傷口が痛む感じだけはまだ残っていた。

今朝満が学校へ出掛ける前に
「今日は札幌に戻る」ことを告げていたが
「松葉杖はもう少し使っていた方が良い」と
留利助と満二人から強く言われていたので
その通りにする事に決めていた。

留利助は「札幌のデパートで買いたいものがある」
と藤岡に気を遣わせない配慮をして
わざわざ三輪トラックで、札幌のアパートまで
遠路送ってくれたのであった。

藤岡はしばらく留利助手製の松葉杖を使い大学に
通っていたが、10日もしないうちに全く普通に
歩けるようになった。
藤岡はアパートに帰ったその日のうちに
萱野家宛に二通の長い手紙を書いて投函していた。
一通は萱野留利助宛に「山での偶然の出逢いから
命拾いをさせてもらったことへの感謝と
その恩返しを何も出来ない今の自分の非力さ
を恥じ恐縮している旨と
家族団欒の楽しいひと時を十分体験させてもらった事」を
そして「自然と共生して生きているアイヌの
人々に対し改めて畏敬の念を抱いた事」などを
連綿と書き綴った。
もう一通は満宛で
「適切な治療を受けたことで、
驚くほどの速さで回復が進んだ事
それに加えて色々美味しいアイヌの伝統料理を
沢山食べさせてもらったお陰でもある」と
深甚の感謝の言葉を尽くした。
そして「満の優れた記憶力と思考力の高さ」を褒め称え
彼女が将来出来れば大学で医学を学びたいという
希望を持っていることから
「近いうちに北大を是非一度案内したい」と
書き送ったのであった。
何よりも藤岡にはこのまま彼女との出逢いを
終らせたくないという気持ち、
満にもう一度是非会いたい気持が
より強くなっていたからである。

その21「懲らしめる」

夏休みを迎える頃になって、
満から藤岡宛に、是非北大を一度見学したいので
案内してほしい旨の封書が届いた。
ずーと待ち望んでいた藤岡は勇んで早速返事を書き
札幌大通公園の「3丁目噴水」前で待ち合わせることにした。

待ち合わせ日の前日
藤岡は床屋に行き常はボサボサした頭を
綺麗に散髪してもらい、銭湯で身体の隅々まで丁寧に
洗う念の入り様で清潔な身なりをして
待ち合わせ場所に向かったのである。

噴水には約束の15分ほど前に着いて
ドキドキしながら待っていると
程なくして向こうから手を振りながら
小走りで笑顔の満が現れた。
満は白っぽい半袖の襟付きのふわりとしたワンピース
黒のベルトをきちっと締め黒のサンダル靴を履き
比較的小さな黒っぽいボストンバッグを腕に持って
見るからに清楚な高校生という装いの姿を見つけると
藤岡は「やあ!」と高く手を挙げて
この日も「可愛い〜!」とまず思ったのであった。

大通公園を北大に向かって並んで歩いていると
怪しげな少年二人が近づいて来た。
そして満に向かって屈辱的な言葉を放ったのであった。
それはあの日 満の父・留利助から聞いていた
「満に石を投げていじめた」男の子であった。
藤岡は咄嗟にその少年の一人の胸ぐらを掴んでものすごい形相で
一喝して拳を振り上げて殴りかけた。
大男の藤岡の強い力で首を締められ持ち上げられて
今にも殴られそうになったその少年は急に
恐れをなして「ごめんなさい!もう言いません!」と詫びたので
その手を離すと二人は一目散にどこかに消えた。
通りすがりの人達は大喧嘩が始まるかと思って
ざわついて避け始めたがどうやらことなきを得たので
何事もなかったかのように通り過ぎて行った。

満はこれまで自分を守るためにこれほど真剣に
戦ってくれ男性に会ったことがなかった事と
自分を散々いじめてきた男の子を懲らしめてくれた事を
感謝してとても嬉しい感情に包まれ感無量になった。
すでに藤岡に対して初めて萱野の家に運ばれて来た時
一見怖そうな印象ではあった藤岡を
治療したり自分の勉強を見てもらっているうちに
密かに心寄せ始めていたのだが
この事件以降ますます強く惹かれて行ったのであった。

後に藤岡が玄黒に病院で見せたあの白黒の写真一葉は
この時北大のポプラ並木を背景に写した写真であったのだ。

その22「就職」

満は高校卒業を目前に大学受験について悩んでいた。
満が希望する医学部を受験し仮に受かったとしても
学費を出してもらうには親の負担が大き過ぎると
考えていたからである。
藤岡から「無利子の貸与型の奨学金制度」があるので
それを利用すれば大学に通う事も可能なので
諦めないで受験したらどうかと
勧められていたのだが最終的に医学部は諦めて
3年で卒業し看護婦試験に合格すれば
看護婦になれる看護学校へ進む道を熟慮の末に選んだのだ。

満が医寮関係の職業に興味を持ったのは
そもそも亡くなった母が
医者の娘で子供の頃から医学的な知識を少なからず
持っていただけでなく父・留利助と結婚して
アイヌの人達から学んだ身近な自然の植物を用いて作る
例えばあの伝統料理であるニリンソウの汁物「オハウキナ」を
食べると免疫力が高まり病気予防になる事とか
さまざまな野草達による病気の回避と治療法など
医学的知識を身に付ける事が
いつか色々役に立つ日が来ると
常に満は母から言い聞かされて来たので
医療というものへ興味を持ち
医師と相互に連携補完し合う
看護の道を選択したというのも自然な成り行きであった。

満は看護学校の入試に成功しその年の4月から
看護学校に通った。
そして三年間看護に必要なカリキュラムに基づいて
基礎知識や実践的な技術の習得に励んだ後
看護学校を卒業して無事国家試験にも合格し
正看護婦として国立病院で働き始めていた。

一方すでに博士課程に進んでいた藤岡は
実質的な給付に近い日本育英会の提供する
「特別奨学生」制度を利用して生活費の一部となる
わずかばかりの支援金を受けていたが、
親からの仕送りがなければ研究も生活も
難しいという状況が変わらず続いていたが
ようやく研究の成果が見え始め
「山野草の植生が土壌中に蓄える
炭素量や生物多様性に与える影響」や
「山野草の群落が気候に及ぼす影響」
などの論文で博士号を取得し
その後すぐ公立の研究機関に就職も決まったので
なんとか自分一人で生計を維持出来る
目処がやっとついて来たところであった。

その23「結婚」

藤岡は満と共に歩む人生を夢見ていたが、
自分が自立出来ない儘であったので
なかなか「結婚」と言う言葉を切り出せないでいた。
そもそも藤岡が玄黒の誘いを受けて高尾山で
ニリンソウに興味を持ったことをきっかけに
ここ北海道まで来て
山野草全般に亘る生態学の研究者としての道を
何とか着実に歩めて来れ
今こうして自分の研究で稼げるようになれたのも
アイヌにルーツを持つ萱野留利助と娘の満との
「幸運な出逢い」があったからこそだと
思い続けてきた。
彼らの大地に根差す自然と共生した
かけがえのない地球を守る生き方に
深い感銘を受けて来たからに他ならなかったのだ。

特にこれまで自分が落ち込むと何かと励ましてくれたり
自分の研究に多大な刺激と影響を与え支えてくれた
満には感謝する事ばかりであったが
経済的な不安が減った今
やっと求婚する覚悟を決められたのであった。

研究員として初めて給与を貰った日から4ヶ月間
給料をほぼ使わずに貯金して来ていた。
その貯金をそっくり引き出した翌朝早く
「今日はどうしても今から話したい事がある!」といって
ポプラ並木入り口で満と待ち合わせた。
珍しく電話の向こうの藤岡の緊張した声に
満は直観的に何故か胸が高鳴り心踊った。

朝まだ早かったこともあり
ポプラ並木道にはほぼ人の姿は見られなかった。
藤岡は満に会うなりいきなり
「君と結婚したいんだ!」と叫んだ!
満は小さくうなづいて「はい!」と答えた!
その後真っ直ぐ札幌三越の開店を待って貴金属売場に
満を案内し満が気にいた小さなダイヤの指輪を
購入し贈ったのであった。

かくして藤岡の「一目惚れからの愛しい想い」は
「結婚」という形で実を結んだのである。
およそ3年後に生まれたのが一人娘・妃梨花である。

その24「喫煙習慣」
満は病院に勤務して以来専門知識や高度な技術も
身に付けて来ていて看護婦の仕事に
ようやく自信を持てるようになっていたが
子供が生まれたのを機に
夜間勤務や長時間労働が多い看護の仕事を続けながら
生まれた娘・妃梨花を
素直な元気な子に育てる事と同時に
夫・藤岡が今後も良い研究を続けるために必要な健康面で
これまで以上に支え続けて行く事が
自分に果たして出来るかどうか散々悩んだ結果
これまで自分が学んだ知識や技術を藤岡と娘の為に
注ごうと決心し病院を退職したのである。

藤岡の喫煙習慣は、大学の研究室の先輩が、
研究の合間に窓辺で気持ちよさそうに
タバコの煙を窓外に吐き出してリラックス
している姿を見て興味を持った事から始まった。
藤岡は決して「ヘビースモーカー」では無かったが
それでも長期間の喫煙習慣が「小細胞肺癌」という
深刻な病気に罹ることになったというのは確かであった。

満は藤岡の喫煙習慣がもたらすニコチンの弊害を
常々気にしていて
出来れば早く禁煙して欲しいと思っていたが
夜遅くまで野草達の標本台紙や写真を見比べながら
顕微鏡を覗いたりノギスや天秤で
何度も野草達やサンプルの土壌を計測したり
詳細を調べたりノートに書き込みしている
満にはよく分からない綿密な作業の合間に
気分を変え気持ちを一新するかのように
一服して又研究に集中して行く姿を見ていると
その気分転換は一時的なもので
本質的なストレス解消にならず
「ニコチン依存症」によるもので
精神や健康に及ぼす害が起こる可能性を心配していたが
なかなか強く言い出せずにいたのである。

その25最終回「ニリンソウの花言葉」

満は萱野の家で
幼い頃から身につけてきたアイヌ民族に伝わる
「ヨモギ」や「ニリンソウ」「フキ」「熊笹」のような野草達や
「ハマナス」「ナナカマド」の葉や実「キハダ」の樹皮などの木々達
それぞれが持つ「抗菌、解熱、利尿、抗酸化、整腸」作用などの
薬効があることをしっかり心得ていて
煎じて飲んだり、食事として体内に摂り入れたり
身体に塗りつけたりすることで
未然に藤岡や娘の風邪や怪我そして重大な病気に
罹ることを回避するようにずーと心がけて来たのである。
ある時は
藤岡の血圧が高い傾向にあると知ると
看護婦時代に得た知識で過剰な塩分を
摂取しないような食事作りに気を遣ったり
「酢」と「大豆」には
血圧降下と密接な関連があることを思いついて
「薬に頼るよりも自然由来の食物で!」と考え
相乗効果を狙って「酢大豆」と言うものを作って
食べさせたりして藤岡が「高血圧症」にならないよう
常に藤岡の身体を心配していたことは事実であった。
、、、、、、、、、、
玄黒が妻の田鶴と共に藤岡の白山のマンションに到着した時、
まだ家族や親戚は誰も来ていなかった。
、、、、、、、、、、
娘の妃梨花から聞いた話によると
昨日の午後に急に母の満が
「久しぶりに藤岡好物のニリンソウの汁物・「オハウキナ」を
作って藤岡の仏前に備えたい!」と言い出して
いつもに増して時間を掛けて丁寧に作ってくれたそうである。
(それは北海道に暮らす老いた
満の父親・萱野留利助が藤岡の好物と知っていて
送って来ていたものであった。)
そしてその極めて美味しい「オハウキナ」を食べながら
満は藤岡の思い出話を夢中に語り始めたそうである。

山で怪我した藤岡を満の実家の父・萱野留利助が
治療の為に家に連れて来た晩に聞いた
藤岡の熊退治の「武勇伝」の話
それまで村の誰にも負けたことがなかった
腕っぷし自慢の父・留利助を
「腕相撲」で何度も負かした話であった。

昨夜はいつになく熱を入れて嬉しそうに話していた途中
突然椅子から崩れ落ちるように床に倒れ込んだとのことで
玄黒も田鶴も話を聞いているうちに
涙がどっと溢れ出て来た。

宝来玄黒は満が白の着物の「死装束」姿で横たわり
前に置かれた白木の台の上の香炉や燭台の横に並んで
おそらく藤岡が写したと思われる
「ニリンソウ」の花が群生する光景を背に
笑顔で写っている「満」の額入りのカラー写真を見ていて
この夫婦にとって「ニリンソウ」によって
必然的に結ばれた縁が
何よりもかけがえの無いものだったとの想いが
一層強くなって来るのだった。

「ニリンソウ」は玄黒と藤岡の関係に於いては「友情」であり
藤岡と満との関係に於いては
「協力」であり「ずーと離れない」ということだったのだ。
そして「ニリンソウ」が持っている特徴
すなわち環境の変化に応じ変異して3輪や4輪の
花をつけ受粉の機会を増やすという生態学的特徴を考えると
藤岡と満に大事に育まれて来た娘・妃梨花が
両親からなんら特別託されたり強制された訳でもないのに
ごく自然のうちに二人の意志を汲むかの如く
野草と薬用植物にいつの間にか興味を持ち
大学の薬学部から大学院に進んで
研究者として「繋ぎ続けて行こうとしている姿」に重なり
それを二人が天から応援しているように思えるのだった。
、、、、、、、、
、、、、、、、、
最終回

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