ニリンソウ 9~16編(全25編)

 

その9「不治の病」

高校を卒業して離れ離れになったとはいえ
北海道に渡った藤岡龍之介との交流は、
1〜2年頃までは頻繁に手紙や葉書のやり取りをして
近況を伝え合うことだけは続き、
春や夏の長期休暇で藤岡が
実家に戻って来た時などは
一緒に関東近辺の野草園や植物園あるいは
泊まりがけで霧降高原の群生する日光キスゲを
見るために出掛けたこともあった。
その間自分が北海道にいる間に是非北海道に
遊びに来ないかと何度も藤岡から誘われたが
実現出来ない儘になってしまっていた。
藤岡が生命科学を専攻し
研究者として4年次前から大学院の博士課程に
早期に進学することが決まった頃からは
互いに何かと時間調整が出来なくなり
一緒に会う機会も連絡もしばらく途絶えて
年賀状や時々の手紙のやり取りで藤岡の研究の
詳細や進捗具合そして互いの消息を確かめ合う
という程度になっていたのだった。
、、、、、、、、
長い無沙汰が続き
藤岡と久しぶりに再会する機会を得たのは
互いに結婚をし40を既に越える年になっていた。
藤岡が「小細胞肺癌」を発症して東京の大学病院に
入院して手術を受けたと病院から
直接電話で連絡してきたからだった。
藤岡の両親は当時文京区の白山にあるマンションに
移り住んでいて藤岡の入院している病院に
度々見舞いに来ていた母親との間で
色々な話をしていたら
高校時代に文京区の原町にあった藤岡の実家に
玄黒が初めて訪ねてきた時の話になって急にどうしても
玄黒に会いたくなったというのである。
藤岡から連絡をもらった玄黒は
北海道で順調に研究を続けていると
考えていただけに突然
藤岡の身に降りかかった深刻な病気を
素直に受け止めることが出来ず
衝撃と驚きで声も出なかったが、電話を切ると
涙が溢れ出て止まらなくなった。
「嗚呼!あの藤岡が死ぬ!」そう思っただけで
体から力が抜けて足腰が萎えてくるのを感じた。
藤岡の研究テーマであった
生命科学の分野に於いて特に
「山野草の生態研究を通じた山野草の植生回復が
持続可能な地球の自然環境維持に果たす役割を
実証する研究」が学界でも次第に注目され始め
国際的にも地球の環境問題が盛んに議論されて来るに連れ
土地の利用や保全対策に山野草が及ぼす優れた効果に関して
単に植物学者達だけに留まらず、
農学、林学、土木工学他の多くの研究者達も研究を推し進め
その成果が次々明らかにされる様になって来ている事を
これまでの手紙のやり取りで承知していただけに
藤岡の研究がもしかすると道半ばで
終わるかもしれないと思うと
さぞかし無念の極みであろうと想像して
玄黒は愕然としたのであった。
その10「一目惚れ」
藤岡から電話を受けたその週末に
藤岡が入院治療をしている病院の階のナースステーションで
見舞いの旨を告げると、面談室に案内された。
椅子に腰掛けて待つまでも無く藤岡がすぐに現れた。
その姿は、かつてのがっしりした体躯の大男ではなく
少し前屈みに体が傾いて、細くなった身体を覆う
兵児帯を結んだ浴衣が藤岡の高身長にあわず
ツンツルテンで膝下のすね毛が丸出しであった。
顎髭が少し伸びていたせいも加わり
大病に苦しむ病人の姿そのものに見えた。
その日は快晴の上天気であったので
陽光が南向きの窓から面談室までいっぱいに差し込み
2月の午後というのに妙に暑く
暖房が要らないくらいであった。
窓際に置かれた木製のテーブルの脇に備えられた
折りたたみ式のビニール張りのパイプ椅子に
互いに腰掛けて、積もり積もった話を
2時間近く語り合ったのだった。
藤岡の結婚式の際には、招待されていたが
玄黒が丁度海外勤務に出かけていて出席出来なかったのであった。
その為藤岡の妻については話で聞いていただけで
会ったことがなかったのである。
藤岡が「妻の満だ!」と言って抱えてきたバッグの中の
長財布に忍ばせていたものを、
若干恥かんで大事そうに取り出して見せたのは
一葉のモノクロの写真だった。
そこには大学のポプラ並木を背にして
大きな身体の藤岡に寄り添うように
小柄な満という名の藤岡の妻が笑顔で写っていた。
小柄な細い体つきで丸顔 僅かに窪んだように見える眼の
くりくりした黒い瞳、細く横に伸びた黒い眉毛
すーと真っ直ぐ伸びた鼻、おちょぼ口
一言で「愛くるしくて抱きしめたくなるような可愛いさ」と
表現したくなる顔立ちで
それはかつてニリンソウを一目見て
夢中になったと同様藤岡が「一目惚れ」するそのままの顔立ちであった。
その11「 幸運」
北海道にわたった藤岡龍之介は、大学に入学をした年にはもう
5月中旬頃から最盛期を迎える北海道各地の
ニリンソウの群生地をはじめとして
春の山野草を観察するために道内あちこちの自生地を
積極的に訪れていた。
玄黒宛によこす封書には
当初野草達の写真と一言感想を述べる程度であったが
そのうち次第に山野草達の植生が
土壌の炭素貯留量や生物多様性に深く関係していることなどを
詳しく書き添えて送ってくるようになり「研究者」としての道を
どんどん進めているのが明らかであった。
3年次の時にすでに何度か訪ねたことがある藤岡お気に入りの
「八剣山」にニリンソウの群生を見に行ったことが
藤岡の妻になった満との運命的な出逢いになったのであった。
その年はニリンソウの群生だけでなく
「キクザキイチゲ」や「エンレイソウ」などの山野草に加えて
早くも「カタクリ」が八剣山で見られると人づてに聞いて
早速登りたくなったのだ。
いつものように「ニリンソウ」の自生地の土壌酸度や塩分含有量などを
調べるために野草や土壌のサンプルを採取した後「キクザキイチゲ」や
「カタクリ」が見れると思われる斜面に向かって歩き始めた時、
バッタリ子グマを連れた「雌のヒグマ」と遭遇してしまったのだ。
この季節冬眠から覚めたヒグマが体力回復のために
山菜などの餌を求めて林を動き回っていても人間の気配に敏感で
接触は避けるのが普通であったがこの日は
子連れの「雌のヒグマ」の母性本能がよほど強かったと思われた。
子を守ろうとしてパニックになった「雌のヒグマ」は
唸り声を上げ藤岡を威嚇した。
これまで山の稜線など遠くに熊を見たことはあっても
こんな間近に熊を見たことがなかったので藤岡は仰天して
熊を真正面に見て棒立ちになった。
すると藤岡目掛けて一直線にヒグマが突進して来た!
藤岡は思わずそばに転がっていた太めの木の枝を掴んだ。
1m近くまでヒグマが近づいた時、藤岡は思い切り
「上段」に構えた木の枝を振り下ろすと
幸い熊の鼻面にまともに命中した!、、
ヒグマは低い唸り声をあげて横に崩れた。
その痛みが強かっただけでなく
鬼のような形相の大男が、大声をあげて
さらに木の枝を高く持ち上げ まるで「弁慶」の
仁王立ちのような姿を見て一目散に逃げ去ったのであった。
藤岡は腕に熊の爪でわずかに引っ掻き傷を受けただけで
ひとまず命拾いしたのであった。
幼い頃から鍛え上げた剣道の腕前が功を奏した瞬間であった!、、、
しかし安堵したのはここまでで
なんとかクマ退治はしたものの又別のクマに出逢う可能性があると考え
心の動揺はやはりおさまらず急ぎ早足で山を下ったのだが
これが災いした。
途中うっかりつまづいて転倒したはずみに
切り株の鋭い角に脛が当たり
切り口が大きく割れ
とても歩ける状態でないほどの大怪我をして
しまったのだった。
大声で助けを呼ぶと
たまたまエゾシカ狩に来ていた又鬼 (またぎ)の萱野留利助が
この声を聞きつけて駆けつけ助けてもらったのが
藤岡の新たな運命の出逢いにつながったのであった。
その12「初恋」
萱野留利助は、足の脛辺りが血まみれになって
動けなくなっている藤岡の様子を見て
事情を察するとすぐに、襷掛けにしていた
クマよけの道具や食料や飲み物などが入った鞄の中から
清潔なタオルを取り出して
藤岡を寝かせ怪我した左足を石の上に乗せ
心臓より高い位置にして
傷口に直接タオルを重ねて
上から手で強く圧迫し始めた。
15分ほど圧迫し続けると
とりあえず止血したようなので留利助は
藤岡を背中に背負った。
留利助は藤岡ほどでは無いがかなり背も高く
腕力や筋力が人並みはずれて優れ
やや小太りの頑健な身体であったので
大男の藤岡をなんなく軽々と背中に背負い
エゾシカ狩用の銃の銃身を上に向けて肩に担いで
駐車してあった3輪のトラックまで運び
それに乗せて15分ほどの自分の住む屋敷まで
連れて行ってくれたのである。
萱野留利助の家のある場所は10数軒の集落になっていて
屋根の勾配が緩やかな洋風の
こぢんまりした家であった。
周りは芽が伸び始めたジャガイモや、
葉が青々と成長している小麦などが育つ
畑になっていて畑と地続きの広い敷地の庭には
ヨモギが庭一面に広がり
敷地の東側奥のこんもり林のように茂った
コブシの木々の下では
ニリンソウの花がいっぱい咲き
遠目で定かではなかったが
他の野草達もいろいろ花をつけている様であった。
留利助は藤岡を背負って家に入ると
10畳ほどの居間に運んで
そこにある長椅子にまず藤岡を座らせると
「満!満!」と大声を上げて奥の方に向かった。
しばらくすると
高校生くらいの女の子が水盥と
盆にいっぱい盛った草などを次々と運んできて
「お父さん!ノヤでまず消毒するね!、、、」と
留利助に向かって語った。
その草は何だろうと藤岡がよく見るとヨモギであった。
その娘は、
血が滲んでいる脚に巻いたタオルを
注意深く優しく取り除くと
切り株で大きく割れて中まで見れるほどの深い傷口と
藤岡のクマに引っ掻かれた腕のわずかな傷口
それぞれの患部の血糊を
盥の中に汲んであるぬるま湯につけて濡らした
ガーゼを使って繰り返しきれいに拭き取った後
盆の上の葉を手のひらで汁気が出るまで
柔らかくしっかり揉みほぐし
患部に優しく擦り込んでくれたのだった!
特に滲みるという事もなかったので
「これはヨモギですか?」と尋ねる
いかつい大男の低い太い声に答えて
「ええそう!私たちはノヤと呼んで
血止めと消毒になりますよ!、、」と
怯む様子もなく落ち着いてその娘は答えながら
手際良く作業を進めたのだ。
その後汚れた服を着替える様に促して
父・留利助の洗濯仕立ての浴衣と
男物の真新しい下着などを用意して呉れて
「藤岡さんには少し小さいかもしれませんが、、、」と
差し出してくれたのであった。
藤岡は、改めて女の子の顔と
伸びた美しい白い腕を真正面から見ていて
「なんて可愛い娘なんだろう!」と
女性と話して初めて心臓の鼓動が早くなるのを自覚した。
と同時に足の痛みが不思議と遠のいていく感じもしていたのだ。
間違いなく藤岡の初恋であった。
その13「柳の木の松葉杖」
満が藤岡の治療している間に
留利助は何を思ったのか、巻き尺を持って来て
藤岡の脇の下から足先までの長さを測ってメモ用紙に書き込み
庭先に出ていったのであった。外で鋸音がしていたが
1時間ほど過ぎた頃「これを使ってごらん!」と言って
藤岡に渡されたものは、松葉杖であった。
それは5cmほどの太さのヤナギの木の枝を2本組み合わせて
三角形の形状に持ち手と脇を支える横木を組み
丈夫な紐でしっかり括り付けてあった。
脇を支える横木には古布の上に
タオルを巻いて脇の下を傷けないように上手に作ってあった。
藤岡が松葉杖を持ってみると意外に軽く
藤岡はゆっくり周りにある家具に掴まりながら立ち上がり
恐る恐る試しに松葉杖を脇に挟んで床を突いてみると
藤岡の身体にちょうど具合良い高さで
怪我した足に負担がかからず歩行が出来た。
頑丈で簡単には壊れない作りであった。
「これでしばらく役に立つだろう!」と留利助は言う。
「有難うございます!本当に助かります!」
藤岡は、何から何まで面倒を見てもらって、
頭の下がる思いであった。
藤岡は命の恩人に感謝して
この後何とかして札幌のアパートに戻るつもりでいた。
しかし藤岡が実は野草の生態研究をしている北大生で
札幌のアパートで一人暮らししていることが分かると
食事のことも心配してくれて
「無理をせずとりあえず今日明日くらい
この家に泊まって様子を見たらいい!」という話になったのだ。
藤岡は初対面でそんな優遇を受けるのは
あまりに図々しく虫が良すぎて
お返しの仕様もないと恐縮していると
「それでは代わりに 満の勉強を一寸見てやってくれんか?
俺には難しすぎて高校の数学なんぞさっぱりだから!、、、」と
留利助が切り出して来たからだ。
藤岡は高校の時から「数学」と「化学」を得意としていた。
藤原はこの賢そうな可愛い娘に出逢った時から
気になる存在となっていたので
内心嬉しく小躍りしたい心境になって
留利助の勧めに素直に従う事にしたのだ。
その14「ニリンソウの汁物・オハウキナ」
藤岡は、結局萱野留利助の家で
娘の満から懇切丁寧な治療を
その日から3日間受けることになってしまったのだった。
藤岡がどうやら「一目惚れ」した満は
事実非常に賢い娘で
札幌市内の男女共学の進学校に
通う2年生で2時間近くかけて通学しているらしく
勉強は好きで出来れば大学に行きたいという希望を持っていた。
その晩は4人で夕食を取ることになった。
というのも、満にはまだ小学低学年の孝助という名の弟はいるが
母親は既に数年前に心臓の病気で亡くなっていて
萱野留利助は娘と息子の3人で暮らしていたのだ。
従って、家庭内のことは概ね娘の満が取り仕切っていたのだった。
その日の晩食は「ニリンソウ」に惚れて北海道に来たことを
昼間藤岡から聞いていた為か
満は庭から「ニリンソウ」を沢山摘んできていて
アイヌの伝統料理であるニリンソウの汁物・「オハウキナ」
を下処理から時間をかけて丁寧に作ってくれただけでなく
春の山菜のギョウジャニンニクやイタドリなどの
天ぷらもたくさん揚げてくれて藤岡を大歓迎したのであった。
「これは、足の傷の痛みを抑えるのにも効きますよ!、、」と言って
「オハウキナ」を椀にたくさん盛って藤岡に食べさせたのだった。
藤岡は野草の料理が抗酸化作用などの健康効果がある事を
高校の時から知識として持っていたが
このニリンソウの料理を食べるのは初めてであった。
最初の一口を口に入れただけで、「何とおいしいのだろう!」と
その感動的な美味さに
今朝からの色々な出来事も遠慮も忘れるほど夢中になって
たらふく馳走になったのであった。
その豪快な食べっぷりに留利助も満も目を細めて
喜んだのは間違いなかった。
弟の孝助は「この鮭は、僕が去年 川で捕まえたんだよ!、、」と
口を挟むので「本当!すごいなー、どうやって捕まえるの?」などと
答えるとまるで自分の兄のように気さくに次々話かけてくるので
藤岡も弟を相手にしているような気分になりさらに
三人との会話が弾んでいくうちに次第に気分が高揚して
どうして怪我することになったかを話す羽目になって
「剣道の技で熊を一撃して難を逃れた事」を語ると
ただ野草観察に来て熊に出逢い逃る途中に
躓いて転んだと思っていた留利助も含め三人共 目を丸くした!
孝助は自分の手を藤岡の手と合わせてその大きさを比べて
藤岡の手が身体同様極めて大きい事に異常な関心を示したのである。
藤岡は何故かもうすっかり萱野家の一員になったようで
不思議と打ち解けて心休まる気持ちになったのであった。
その夜は藤岡は4畳半ほどの部屋に
敷布団が2枚敷かれた上に掛け布団がかけられ
寝室として用意された場所で弟を横にして
布団から長い足をはみ出して眠りについた。
寝床に入る前に満はもう一度傷口のヨモギの葉の
交換をしてくれていたこともあり傷の痛みが
どんどん消え失せて
翌朝 横に眠っていた孝助に起こされるまで目が覚めないほど
ぐっすり熟睡してしまったのである。
その15「自然を守る知恵」
翌日はいつものように早起きした満が
既に皆の朝食の準備を済ましてあった。
満と幸助が学校に出かけた後は
今度は留利助がヨモギの交換をしてくれたのであった。
まず留利助は藤岡の傷の治療をするために
昨日と同様 庭先から摘んで来たヨモギの葉で
傷口にしっかり塗りつけてくれた。
それが済むと「畑に行くので、何かあったら呼んでくれ!」
と言い残して農作業に出掛けた。
藤岡は特段その後する事も無いので
暫くは萱野家の庭先をぐるりと眺め回していたが、
鞄に納めてあった昨日「八剣山」で採取し記録したメモと
野草や土のサンプルを取り出してルーペなどで眺めながら
記録し続けて来たこれまでの観察ノートと比べながら
改めて見直したり書き加えたりして過ごした。
昼時になると留利助が戻ってきて
山菜入りの握り飯を沢山作ってくれたが
それも「美味しい!」と言いながら全部食べ尽くしてしまったので
留利助は藤岡の「大食漢」に呆れ顔で笑った。
足の痛みも昨日とは比べるまでも無く
じっとしていれば全く気にならないほどになっていたが
お茶を飲みながら留利助から萱野家族や
娘の満の体験した辛い過去の話を聞かせてもらう事になった。
留利助は昨日知り合ったばかりの藤岡を
何故かもう昔からの知り合いか、
もう一人息子が出来たような親近感を抱いていて
それは昨日藤岡が感じた気持ちと変わらないものであった。
萱野留利助はアイヌの家系に生まれていた。
留利助が子供の頃の一般的なアイヌ民族の生活は
大自然の恵みを最大限に活かして
男達はエゾシカやヒグマを捕獲する狩猟生活そして
川や海では鮭や鱒を網やモリで捕え
女子供は山菜や木の実などの植物採取を中心とし
そうして得られた食料はすぐ消費に回さず
燻製や加工して長期間貯蔵保存して
いつ来るかもしれない飢饉などに備える知恵を
持っていたのである。
そして神(カムイ)が宿るという自然界の全てに
感謝する気持ちを強く抱く「独自な精神文化」が
自然界を保護し動植物と共生するという
持続可能な豊かな生活を送って来たのである。
それは現代人から欠落しつつある貴重な文化であったのだ。
その16「辛い体験」
数年前に亡くなった萱野留利助の妻・静江
すなわち満の母親の父は村の診療所の医者であった。
高等女学校を卒業する頃
アイヌの家系に生まれた萱野留利助との結婚話が持ち上がると
アイヌ出身者を白い目でみる眷属達の多くから猛反対されたが、
両親は「先行きの苦労は予想されるが
娘が選んだ好きな男性と一緒になる事は
娘にとっての幸せだ!」と
その当時には珍しく自分たちと異なる民族に対し
偏見を持たない考えを示したことで
無事結婚出来たという事情があったのだ。
満が生まれ、小学校に通う頃には
明治時代から推進されてきたアイヌ民族の「同化政策」は
アイヌ民族が暮らして来た集落(コタン)でも和人達が増加し
混在する様になっていた。
満は自分がアイヌの血を引く人間であることを特別強く意識も
せずに過ごしていたのであった。低学年の頃より
学業成績が良くそれに母親似の「器量よし」に生まれたことが
クラスのみんなから一目置かれていたのだった。
それは母親の静江が満に
幼い頃から絵本や世界の文学書などの物語を読み聞かせ
家の周囲で見られる植物や動物達についても
当時一般家庭にまださほど普及していなかった
図鑑や辞典などを手に入れて満に与え、
知らない事があると何でも
詳しく自分で調べさせる癖をつけさせたことが
満の学習意欲を増進させる大きな要因になったと思われる。
ところがある日、学校からの帰り道 別のクラスの
男の子二人から石をぶつけられ
「アイヌの子!アイヌの子!どこかに行け!、、、」となじられたので
泣きながら、家に戻ると尋常でない満を見て
母の静江は満をしっかり抱きしめて
「泣かないの!怪我しなくてよかったね!、おやつを食べて
又昨日の続きの世界の旗を覚えようね!、、」と
さらに強く抱きしめたのであった。
翌日から同じクラスの子供達からもどことなく避けられる様になり
女の子達からも悪戯されたり嫌がらせを受ける様になったのである。
満は自分がアイヌの血を引く人間であることで
どうして虐められなくてはならないのか疑問は尽きなかったが
次第に学校に行くことが嫌になり休みがちになる日々が続き、
気持ちが沈み暗い表情にどんどんなっていった。
満の母は、食欲もなくしていく娘を見て
萱野家の人間達がこれまでどんな時でも健康を取り戻し
皆を幸せな気持ちにさせて来た
夫・留利助の母からみっちり教えてもらったアイヌの伝統料理である
ニリンソウの汁物・「オハウキナ」を作って食べさせたのであった。
この料理については満の母は「アイヌの女達よりも美味しく作る!」と
舅である留利助の母から褒められるほどの腕前であった。
満は母が作ってくれた伝統料理や母の決して卑屈にならない
前向きな考えのお陰で辛い体験をどうにか乗り越え
時間が経つに従い学校でのいじめに対し真っ向から
いちいち反応するよりも
「暖簾に手押し!、、」の態度で臨む方法を賢く学習して
勉強に邁進したので、
クラスの子ども達からのいじめは次第に減っていった。
中学に入ると満は全校でもトップクラスの
優秀な生徒であったこともあり
この頃には我慢出来ない様ないじめは無くなったが、
一部の教師や生徒達からはまだ白い目で見られることもあった。
萱野留利助の収入は主に「マタギ(又鬼)と農業」の
兼業によるものであったので経済的には苦しく
満は高校進学を辞めて働くことも考えたが、
3年生の時に担任になった教師が
「満なら公立の進学高に絶対入学出来るので
ぜひ受験するように!才能を無駄にしない様に、、、」と
積極的に満と萱野夫妻に受験を勧めたことで
満は北海道でも有数の進学高に通うことになったのであった。
どんな時でも満や萱野家族を
いつも支えてきた留利助の妻・静江は
子供の頃から先天性心疾患があり
定期的に実家の医者である父の元で検診を受け
心臓に負担がかからない様に
常に血圧をコントロールしていた。彼女にとって
アイヌの伝統料理を食べることは丈夫な身体作りに
資する効果があっただけでなく
自分に対し過度のストレスを与えないように
優しく大切にしてくれる夫・留利助のお陰で
「二人の子供まで産むことが出来て本当に幸せです!」と
いつも感謝していたのだが数年前に「心不全」を起こし
あっという間に亡くなったのであった。
話を聞いた藤岡は留利助の精神的衝撃と悲しみの
大きさが推察されて思わず涙ぐんだ。

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