クマバチとナヨクサフジ 5~9編(全9編)

 

その5、「ラフマニノフ編曲・熊蜂の飛行」

ある夏の日 この家の前を通り過ぎようとすると
玄関ポーチの上のバルコニーの白いドアが珍しく開け放たれていた。
夏の盛りを迎えようとしていたのでおそらく外気を
入れるために開け放していたのかもしれない。
すると玄黒には聞き覚えのある懐かしい
あのラフマニノフ編曲の
「熊蜂の飛行」(リムスキーコルサコフ作曲「皇帝サルタンの物語」の 間奏曲)の
ピアノ曲が突然耳に飛び込んで来たのである。

これまで玄黒の近所で誰かがピアノを弾く音が聞こえる時およそ
ショパン、モーツアルト、ベートーベン、シューベルト等の曲目が
定番である事が多いので
難曲と言われている
ラフマニノフの編曲の「熊蜂の飛行」を弾くピアノの音が
この家から聞こえてきたことは驚きであった。
玄黒は音のするバルコニーを見上げ暫く立ち止まって
聴き入っていた。

玄黒がこの短い曲に惹かれる理由は他でもない。
玄黒の耳にはプーシキン原作の「皇帝サルタンの物語」の中の
蜂に変身して報復する王子にどうしてもならないのだ。
熊蜂そのものの生涯に映るのだ。

聴いていると蜜を求めて花々を飛び回っているクマバチ達の様子が
目に見える様に確実に伝わってくる。
アップテンポのこの曲目は
まさに1秒間に300回以上羽ばたきをすると言われる
クマバチ達の必死の忙しい飛び方そのものだ。
牡クマバチ達は、1年という短い命の刹那に子孫を残すために
牝クマバチ達との多くの出逢いと交尾を求めて
必死に翅を動かして花の周りを
ホバリングし自分のテリトリー内に入る牝クマバチ達を
探し目を皿にして飛び回っている様子がこの曲からよく伝わってくる。
群れで蜜を巣に集積するミツバチ達と異なり
同じハナバチの仲間でも個々に活動する
牡クマバチにとって蜜は
牝クマバチ求めてホバリングし続ける為にも大事な活力源である。

それが突如、天敵の恐ろしい「オニヤンマ」の急襲に会って
牝クマバチ達の様に攻撃出来る刺し針を持ない
牡クマバチは最早「蜜や交尾」どころではない!三十六計逃げるに如かず!
しかしいくら逃げ続けても
大きな翅を持つ「オニヤンマ」のスピードに敵うはずもなく
突然ぷつりと曲は終了する。
その瞬間、、、玄黒は思い描く!
嗚呼!とうとう牡クマバチは「オニヤンマ」の口に飲まれたのだ!
哀れで恐ろしくもある光景が目に浮かんで来ると同時に
牡クマバチはなすべきことをすでに果たし終えていて
今潔く命を生き切ったのだという充足感と覚悟が伝わってくる! 
牡クマバチが玄黒の「メタファー」となる瞬間である。

写真;ピアノを弾く女性の手 クマバチの飛行(空) クマバチ交尾 オニヤンマ

その6、「クマバチの好きな花」

玄黒はピアノの音が聞こえて来た時
何度か繰り返しこの短い曲を
弾いているのは女性だと思った。
特別理由はなかったが、このラフマニノフ編曲の
「熊蜂の飛行」の技巧をピアノで弾きこなす美しい女性の手
が何故か見えた気がしたのであった。
男性の手は毛頭浮かばなかったのである。
この日以来、この異人館でピアノを弾く主のことが
とてつもなく気になり始めたのであった。
それから十日ほど過ぎた日のことである。

いつものようにこの異人館の前を通過すると
玄関ポーチのあの頑丈そうな金具のついた
ウォールナット製の重厚な扉が
ゆっくりと開いて中から
一人の女性が出てくるのに出くわしたのだ。
その女性は背が高いだけでなく
グラマーな大きな体躯であった。
頭から黄色いストールを被り
左肩の上から首の後ろの方へ回して巻きつけていた。
その姿はアラブの女性達が被るビジャブのようであったので
玄黒は最初やはり外人かと思った。
顔がよく見えないので年齢などは予測出来なかった。
玄黒はいつものように前の空き地の野草を観察していると
後ろから突如「キャー!」と大きな叫び声が聞こえたのだ!

振り向くとその女性が身を縮めて道路際の「クサフジ」の前で
かがみ込んでいる。
「どうしました!奥さん大丈夫ですか!」玄黒は近づいて尋ねる。
「蜂!蜂!大きな蜂が!、、、」
見るとクマバチが彼女の頭の上でブンブン唸っている!
「嗚呼!奥さん!こいつは大丈夫ですよ!人は襲いませんよ!
クマバチのオスですから!」
「奥さん!奥さんって!奥さんじゃないわよ!独身よ!失礼ね!、、
ほらまだブンブン唸っているじゃない!、、
いいから早く追っ払ってよ!怖いわ!、、、」とヒステリックに叫ぶのだ!
その女性は初めて出逢ったにも関わらず
玄黒に高飛車に命令するのであった。

玄黒が軽く手で追い払うとクマバチは、その場から離れて
どこかに飛んで行った!
女性が少し落ち着いたところで、「クマバチと藤の花」の共生関係や
花が似ている「クサフジ」や「ナヨクサフジ」の蜜を求める話
牡クマバチは刺し針を持たない事!
牝クマバチとの交尾を求めて飛び回っている事!
農業上役立つナヨクサフジの分泌物質が作用する緑肥効果の話等々を
順序立て説明するとやっと納得したようで
「私この花は好きなんだけど蜂が嫌だったのよ!、、
お陰でこれからは安心してこの花の前を通れるわ!ありがとう!、、、」
玄黒は先日聞こえてきたピアノ曲「熊蜂の飛行」のことを
聞きたい気持ちも湧いて来て「先日のあの曲!、、、」と
クマバチの話に結びつけようと僅かに口を付いて出たが
彼女の様子を見ていて
今は聞かない方が良いようになんとなく思えて
その時は言葉を飲み込んだのだ。

写真;クマバチと藤の花  クマバチとナヨクサフジ

その7、「不可解、、」

こんな会話をしていると異人館の建物の脇から
しばらく続いている二人の話し声を聞きつけて
真っ白な割烹着を身に付けたお手伝い風の中年女性が出て来て
「お嬢様!何かございました?、、、」
話を聞いたその女性は
「それはよございました!なんともなくて!、、
それよりお嬢様!いつまでも強い日差しや
外気に触れていますとお身体に触りますから
そろそろお部屋に!、、」
その促しでその女性は又出て来た玄関のドアを開けて家の中に戻った。
ドアを閉める前に振り返って 
玄黒に手を振って中に入った。
玄黒は「一体全体彼女は、
今日何故 黄色のストールを羽織って
わざわざ外に出ようとしたのだろう?!、、」と
なんとも不可解で訝しく
玄黒の周りでこれまで出逢ったことのないタイプの
この女性にひどく興味が湧いて来たのであった。

玄黒はこの女性の立ち居振る舞いを見ていて
いかにも裕福で子供の頃から金銭的な苦労とは無縁で育ち
おそらく望むものは親からいつでも買い与えられ
プライドの高さがもたらす上から目線の我儘で傲慢な
時としてありがちな激情型の女性だと
簡単に判断して良いのか迷っていた。
外見では外人かと見間違ったが、
頭に巻いたストールを脱いだ時に近くで見ると
真っ黒なストレートの髪が印象的で
青白い顔の真ん中にスーと伸びた
外国人のような鼻根が高い鼻が
切れ長の眼を窪んだように見せて
少し不健康そうなむくんで見える顔付きも
薄化粧ゆえにさらに病的な感じが増し
おそらく見た目の腕や手肌の感じからしても
20代であろうが年齢より老けてみえた。
どこかに重大な病を抱えた
苦しげな表情が玄黒はひどく気になったのだ。
しかし建物の中に戻る時微笑みを見せて
ノースリーブのワンピースから伸びた腕を挙げて手を振った時の
透き通るような白い肌は妙に美しく艶かしく
やはり先日のピアノはあの女性が弾いたに違いないと確信したのであった。

写真 黄色のストール

その8、「消えた異人館」

その女性が家に入るのを見届けた後
お手伝い風の中年女性も挨拶をして建物の裏手に回ったので
玄黒は踵を返して庭から道路に向かって砂利道を歩き始めた。
すると頭の中に ある姿が突然浮かんだのだ。
もしあの黒髪の女性が
大きな丸い黒のサングラスをして
首にあの黄色のストールを巻いて
黒いコートでも着たら「牝のクマバチ」そのものだと
想像しただけで思わず苦笑した。
ちょうどあの「クサフジ」の前を
通り過ぎようとした瞬間であった。、、、
玄黒の鼻先に突然クマバチが突進してきた。
玄黒は何気に腰を低くして手で軽く払おうとすると
半袖から出た腕にそのクマバチが向かって来た。
「痛!、、、」 玄黒は思いもしない「牝クマバチ」に刺されたのである。
痛みがひどく 刺された箇所がみるみるうちに赤く膨らんできた。
もはや散歩どころではないので、慌てて直ぐ行きつけの
駅近くの皮膚内科医院に駆けつけ治療を受けた。、、
幸いアナフィラキシー症状にはならず軽傷で済んだのであった。

玄黒はあの女性が自分の姿を笑いものにしたのは
けしからんと考え恨まれて
クマバチの牝に変身して玄黒めがけて突進して来たに
違いないようにどうしても思えて来て
滅多な妄想をすると必ず天罰が下るのだと反省した。
、、、、、、、、、

その後は何度もその異人館の前を散歩しても
一向にバルコニーの窓が開くことも
ピアノの音が聞こえてくる事もなかった。
無論あの女性が庭に立つ姿を見かける事も無かった。
、、、、、、、、、

秋になってあの空き地に「セイタカアワダチソウ」が
繁茂する季節になった頃、
異人館の前を通ると玄関のドアに
黒の縁取りの「忌中」の紙がぶら下がっていた。
玄黒は「嗚呼!、、あの女性は亡くなったのだ!」と悟った。

その後玄黒は異人館の前を通る道方面の散策を
する気持ちにどうしてもなれないまま
時は過ぎていった。
、、、、、、

それから約1年半位過ぎて
久しぶりに異人館の前を散策したくなって訪ねると
いつの間にか異人館は跡形もなく消え失せていた。
建物が立っていた土地と庭それにその前の空き地も含め辺り一体
紐と杭で囲まれきれいに整地されていたのだ。、、、、、

写真;セイタカアワダチソウ  整地

その9、「アレロパシー、可能性への挑戦」 最終回

「忍!お疲れさん!
もう昼だし今日はこのくらいにして帰ろう! 
次はもっといい水蜘蛛を創るから、、、」
その親父さんの問いかけに男の子は
身体を包んでいた大きなバスタオルを頭から被り直して
濡れた頭を掻きむしるように拭きながら
返事をせず黙ったまま土手を登って来た。
二人の会話が耳に入り
ハッとして玄黒は先程からの夢想状態から我に返った。

玄黒の周囲を飛んでいたクマバチの一匹が
土手道を歩く親子の後を追うように飛んでいく。
クマバチとこの親子の後ろ姿を見ていて
「そうだ!あの異人館の女性は、本当は
無理を承知で挑戦したのかもしれない!
きっとそうに違いない!、、」

玄黒はとうに忘れかけていた昔の思い出の中で
長い間不可解と思っていたあの女性の行動の理由が
やっと今理解出来たように思えたのだ!。
あの女性は本当は「クマバチ」は
「不可能を可能にするという意味の象徴」だと実は知っていたのだ!
自身が不治の難病を抱え
幼い頃からその病気との戦いに明け暮れ
自分には未来はもとよりこの世に残せるものなど何もないと
悲嘆に暮れる日々を過ごして来たのだ。
医師からはそう遠くない将来の死を匂わされ
たとえあのお手伝い風の看護の役を任された
中年女性がきめ細かく
心優しく接してくれたとしても
館に閉じ籠りこのまま十年一日の如くの
「薬と静養」の暮らしを続けている限り
癒されることもなく何も生まれない!
せめて生きた証だけでもこの世に残したいと
窓を開け放ち、
庭に出て外気を胸いっぱい吸い込み
新たな出逢いを契機に
不治の病を乗り越えて命の証を刻める
何かが掴めるとその可能性を信じ
挑戦したのではなかろうか?
だからこそピアノ曲は「熊蜂の飛行」だったのだ!

玄黒があの時説明したクマバチと共生する「フジの花」の事や
「アレロパシー」(注;植物の分泌する化学物質の作用によって
他の植物の成長や抑制をする効果で薬品などの化学物質に頼らず
農業上では虫の害や病気を防ぎ本来の作物の収量を上げる目的や
人間や生物の健康ならびに土壌汚染を防ぐ植物として利用される)
という植物を学ぶ者達にはよく知られている話の中で
前の空き地に繁茂している「ナヨクサフジ」も
もとは「緑肥作物」として
外国から導入されたものだと話すと
直ぐ理解して呼応するように
「トマトとバジルを一緒に植えるのも
ナス科の連作障害もそのアレロパシーとかの現象なの?、、」と
最初ヒステリックに叫んだ時とは打って変わった穏やかな表情になって
目を輝かし明るい顔で尋ねて来たことを玄黒は思い出していた。
(注;ちなみに一般には「コンパニオンプランツ」と呼ばれ
トマトの成長が良くなるのは互いのアレロパシー作用で
トマトは雑草をバジルは虫を防ぐ)

その当時は、能天気で単細胞の宝来玄黒は
あの女性は多分以前健康な時に
ナス科のトマトを育てた経験があったので
そんな質問が可能であったのだろうと思っていたが
それだけにとどまらず
彼女はヒステリックな気質の反面、
人の話を一度聞いただけで十分理解出来る
頭の回転が良い女性であったのだ。

然るに玄黒がした不届な妄想に灸を据え
天の助けを借りてメスの熊蜂となって玄黒の腕を
針で刺して訴えたのだ!
彼女もまたクマバチ達と同様
何らかの出逢いがきっと
悔いなく短い人生を生き切って
自分のあえかな命を未来に繋いで
残せるものが何なのかを知ることが出来る
契機になると信じて
最後に試みた彼女の深慮遠謀だったに違いない!
、、、、、、

玄黒は採取した「ナヨクサフジ」の株を
そっと優しくリュックに詰めて
この日の天気の様に晴々しい気持ちで土手道を
多摩川を見下ろしながら帰路についた。

 

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