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”ギンリョウソウ(ユウレイダケ)” 8~12編(全12編)




その8(全12編)
玄黒の亡き大叔母の孫娘が都内にある法律事務所に勤めていて
玄黒が住む町の最寄り駅の私鉄沿線上のN駅近くの
女子専用の独身マンションに暮らしていた。
関西育ちであるが東京のK大学の法学部を卒業し
亡き大叔母にそっくりのスラリとした立姿勢が美しく
まるで百合の花を見るようで
瓜実顔の細面の顔付きに一重瞼の
黒目がちな瞳が輝くとなんとも愛らしく
長く清潔に梳かされた艶のある黒髪が
風になびくと良い香りを放ち
きめ細かい透き通る様な白い肌に
いっそう映えて気高い感じになる。
自然な薄化粧であるが
誰が見ても日本美人と認める福家瑠璃乃という娘がいる。
玄黒の妻田鶴も羨むほどどんな服も
不思議とセンスよく着こなせる才色兼備の女性である。
しかし当時もう時期三十に手が届くというのに
何故か良き相手に出会わない儘 独身生活を続けていた。
玄黒が田鶴と結婚して以降
玄黒の家の近隣に移って来たことにもよるが
玄黒の妻・田鶴とは妙に気が合って玄黒邸を度々訪れ
共に会食などを繰り返して来たのだった。
そんな秋のある日、内園澄夫が訪ねて来た日と偶然重なって
二人が出逢う結果に繋がった。
この時は食事をしながら 山の話や
たわいのない話が続いて玄黒夫妻が
若い二人が意識して気を遣わないように配慮していたので
長時間にわたることはなかった。
ところが半月ほどして珍しく瑠璃乃から
玄黒宛に長い手紙が届いた。
その内容は
決まり文句の季節の挨拶から始まり先日の昼食時に
戴いた「鶏もも肉のトマトスープ」や
「舞茸とオクラのパスタ」「アボカドとトマトのサラダ」他
何もかも絶品で美味しく
出来れば次は妻・田鶴にレシピを伺いながら
一緒に作らせてもらいたいなどと感謝の言葉が続き
最後にその場で偶然出会った澄夫のことに触れていた。
「私は今まで出会った男性の中でようやく自分の理想に近い男性に
出逢えました」と書かれているではないか!
玄黒も田鶴もこれには驚いてなんとか二人の距離を
もっと近づけてやらなくてはと思ったのであった。
その9(全12編)
玄黒は瑠璃乃の手紙を受け取ってから
まだ澄夫にその事を伝えていなかった。
澄夫は女性に対し奥手でおそらくこれまで植物に対して
積極的になることはあってもおそらく
女性経験などしたことが無いのは無論
女性の手すらを握ったことも無いと思われる
(実際のところ澄夫はこれまでバイト先で知り合った
中年のおばさん達から「内園さんは好い人だけど、
女は女に関心を持たない男を好きにはならないものよ!」
などと忠告を受けていたのだ。)
かようなこれまでの澄夫を見て来ただけに
強引に玄黒が事を進めては
瑠璃乃の秘めた想いを十分伝えることが出来ないと考え
ごく自然の形で二人の距離をもっと縮める良策がないものかと
逡巡していたのである。
そう言えば瑠璃乃は関西の高校に在学中
自然観察会とやらで友達に誘われて低山のハイキングをしていたと
亡き大叔母が語っていた事をふと思い出した。
翌年の1月 その日は早朝から底冷えの寒さで、
夜中に何度もトイレに立った玄黒は、
寝間着の上に羽織物をして部屋から
洗面所に行くまでに時間を掛けた。
かつて母親が冬の寒い朝に
寝間着の上から毛糸のショールを軽く
羽織った姿で急いでトイレに立った時、廊下でその儘倒れ
柱に頭を打ちつけて動かなくなり救急車で運ばれた先の病院で
そのまま意識を取り戻すこともなく亡くなってしまった。
脳出血であった。
母親似の玄黒は以来寒い朝は特別用心して来たのである。
その日は午後から雪が舞い始め 夜には積雪10cm近くの
東京では久しぶりの大雪になった。
近頃は温暖化とやらが進みそれが原因か分からぬが
「猛暑の夏は豪雪の冬になる」などの俗説が流布し
事実かどうか自分には確かめようも無いと玄黒は考えつつも
今年の春は早い気がし夏は猛暑になるのではと思っていた。
3月も終わりに近づくと桜の開花前線が
すでに東北地方にまで進んでいた。
思っていた通り玄黒の庭でも例年より早く早咲きの
バラ達が盛んに開花し始めた。
瑠璃乃の手紙を受け取ってからだいぶ時が過ぎていた。
そんな折澄夫がヨシエ夫人と一緒に訪ねてきて
一つの提案をして来た。
「宝来 さん!5月の連休が終わったら
季節もいい頃だし山野草を見に奥様も御一緒に
丹沢の三峰登山でもしませんか?、、」と
「これは渡りに船だ」と思った玄黒は、
確かに丹沢は植生が豊富で山野草を見るには楽しみに違いないが
三峰山は1000m位の比較的低い山だが
途中急峻な場所が続き登山経験の少ない初心者の瑠璃乃には
厳しすぎると考え瑠璃乃を誘って一緒に登山出来そうな
「高尾山ではどう?実は去年内薗君と会った瑠璃乃が
常日頃都会のビルに囲まれた狭い事務所で
法律の本ばかりに埋もれて
身体を動かす機会が少ないのでたまには内薗君のように
大自然の空気を吸ってみたいと言っていたので
一緒に連れて行きたいから、、」と水を向けると
すぐ二人は承諾し天気が良さそうな日を選んで日にちを決めた。
その夜瑠璃乃が帰宅する頃を見計らって早速電話をかけると
賢い瑠璃乃はすぐ玄黒の意図を汲んで「はい!平日ですが
必ず休みをとって行きます!」と明るい声で返事を返して来た。
その10(全12編)
玄黒は、澄夫にもヨシエ夫人にもこの登山が澄夫と瑠璃乃の
正式なお見合いなのだと伝えずにいたのは、
極自然な形で二人が懇意になっていって欲しいと
あくまでも願ってのことであった。
今から考えるとこの玄黒の計画があまりに深慮遠謀が無く
瑠璃乃にも澄夫にも彼らの人生の選択肢の中で望む方向を
変えさせる原因を作ったとつくづく思って
いまだに心が痛み悔いているのである。
高尾山登山の当日は期待した通り
五月晴れとでも言える絶好の登山日和になった。
玄黒が運転する車で高尾山の薬王院の駐車場まで
中央高速を利用すればおよそ1時間で到着
仮に午前9時頃から登り始めたとしても林を抜ける
3路コースを選べばどんなにゆっくり登ったとしても
2時間もかからずに山頂に到着すると踏んでいた。
妻の田鶴が早起きして米を炊いて作った
全員分の握り飯とだし巻き卵や飲み物などを
玄黒が背負うリュックに詰めるのを確認すると
昨日の中に用意した山靴などと一緒に車に
積み込んで田鶴を助手席に乗せて家を出た。
玄黒の住む家の最寄駅で7時半に待ち合わせた瑠璃乃は
淡いピンク色で翼の付け根にバラ飾りがついた
ややつば広のバケットタイプの可愛らしい帽子の
つば先を少しめくり上げてハットストラップで留めていた。
淡い浅葱色の長袖のトレッキングパーカーで上半身を覆い
黒色のストレッチパンツを履き
購入したばかりと思われるハイキング用の靴という出立ちで
軽登山用の赤いリュックを背負っていた。
玄黒も田鶴も思わず「可愛い〜!!」と口に出る程
よく似合っていた。
その後澄夫の下宿先に回り澄夫とヨシエ夫人をピックアップして
高尾山に向かったのであった。
途中高尾までの車中では、ヨシエ夫人は初めて会った瑠璃乃が
法律事務所に勤めていることを聞いていたので
法曹関係者がヨシエ夫人の身の回りの眷族には
誰も居ないこともあり興味があるらしく、
法律事務所のことや司法試験のことを
次々と瑠璃乃に質問攻めをしていた。
瑠璃乃はその度に事細かに
近年はかつてと試験方法や受験資格が変わり
受験科目には短答式が憲法、民法、刑法の3科目
論文式が選択科目も含めて 8科目あるとか
法科大学院のことに至るまでいちいち
ヨシエ夫人に優しく説明してあげていた。
ヨシエ夫人はその度に「へー!大変なのねー!
なんか難し過ぎて私にはとても無理だわ!、、」などと答えていた。
澄夫はこの間二人のやり取りを黙って聞いて相槌を打っていた。
そうこうしているうちに車は高速道路を降り
高尾山の駐車場に到着した。
玄黒が予想した通り9時少し前に到着した。
思っていたよりは空いていたので楽に駐車出来た。
玄黒が靴を履き替えるのを待って
皆で薬王院に向かう舗装された1号路を歩き始めた。
玄黒と並んで歩いていた澄夫が
「瑠璃乃さんは聡明で本当に綺麗な方ですね!」と
はにかむように言うので、
普段女性について語ることもない澄夫の言葉を聞いて
玄黒は瑠璃乃を一緒に連れて来た意図が
分かってくれたかとその時は思ってほくそ笑んだ。
その11(全12編)
薬王院の浄心門あたりまでは比較的緩やかな傾斜で
石畳も歩きやすく
途中高い杉並木を抜けるあたりになると
少し汗ばんでくるので日陰になったこの空気が心地良くなる。
瑠璃乃は疲れた風も見せず
田鶴と談笑しながらゆっくり登ってくる。
浄心門から左に折れて3号路に入ると道が狭くなり
樫の木などの常緑樹が増え始め景観が変わり
見晴らしも悪くなって
登ってくる人も急に少なくなる。
途中金毘羅台で都心まで見渡せる開けた場所で
少し足をとめたがここまで40分もかからず
一気に登ってきたので小休止を取った。
瑠璃乃の様子は変わらず疲れた風も見せず
ヨシエ夫人はリュックからタオルを出して首周りを拭った後
新緑に包まれた空気をいっぱい両手を大きく広げて吸っている。
田鶴はその様子を見て
用意したポットに入れたお茶を紙コップに注いで皆に配った。
澄夫はここまで登ってくる途中でも左右の
樹木や野草達に目配りしていたが、
皆が一息入れているここでも辺りをやはり探っていたが、
樹木の下の暗い茂みで何かを見つけたようで
「あっ!ギンリョウソウ!ギンリョウソウ!」と
叫んでいる。
玄黒も澄夫が指差す先を見ると確かに
一面朽ちた濡れ落ち葉の中に埋もれるように
「ギンリョウソウ」がほんのりと透き通る白い姿で
4−5本纏まって頼りなげに首を垂れて
皆こちらに向かって
口をを尖らせるように咲いている。
その様子を見た瑠璃乃は携帯カメラを
すぐさまリュックから取り出して近づいて写真を撮った。
澄夫が「これはユウレイダケとも呼ばれています」と
説明すると「言われてみると本当に
幽霊のように見えますね!変わった花ですね!初めて見ました!」と答える。
ヨシエ夫人と田鶴は「ちょっとキミ悪いわね!」などと言っている。
そんな調子で高尾山の山頂につくまでの途中度々
澄夫はこの季節に咲く「タツナミソウ」やら「キンラン」や
「セッコク」などを見つける度に声を上げるので
瑠璃乃は言われるままに写真を撮り続けていた。
玄黒と田鶴はその様子を微笑ましく眺めていたのだ。
その12(最終回)(全12編)
そんな風にのんびり、ゆっくりと登って来たので
結局高尾山頂に着いたのはもう12時近くになっていた。
山頂はそれほど混んではいなかった。
木陰のある場所を探し
持ってきたシートを広げて腰掛け
田鶴の用意した「梅干しとシャケと昆布の握り飯」と
甘さを控えて綺麗に仕上げた「だし巻き卵」などを皆で分けたり
ヨシエ夫人が前日作ったという「リンゴの赤ワイン煮」や
今朝急いで少し作ったという「鰯とトマト入りのホットサンド」などを
互いに褒め合いながら食べた後、食後の飲み物ということになった。
瑠璃乃がそこで「私の大好きな無農薬の紅茶を
持って来たのでいかがですか?お湯も用意してます!、、、」と
やはりこの場所でも周辺の草むら辺りを探索して
「あけぼのスミレがまだ咲いていました!」と
自分が写して来た写真を皆に見せながら
戻った澄夫に向かって尋ねると
「いえ!私はコーヒーにします!」
つれなく断ってヨシエ夫人が紙コップに入れた
インスタントのコーヒーを手にした。
この様子を見ていた玄黒は、「ああ!こいつは
どこまで女心というものを推し量ろうとしないのだろう、、
この アンポンタン!、、、」と憤慨しつつも呆れた。
確かに玄黒の家に来れば必ず澄夫が好きなことを
知っているのでミルで挽いたドリップコーヒーを提供してきたが
「今日は違うだろう!自分の好みや植物より瑠璃乃を見て欲しいんだよ!」
そう言いたかった。田鶴もそう思っていたに違いない。
澄夫が常日頃世話になっている
下宿先の大家・浪野ヨシエ夫人の眼を気にするのは分かるが、
玄黒はこの時点になって初めて
あらかじめ本日は「正式な二人の見合い」であることを
前もって澄夫にもヨシエ夫人にも
伝えて置かなかったことをひどく後悔した。
山を登り初めた段階で今日の意味を理解してくれていると
思ったのは全くの勘違いであったのだ。、、と、、
高尾山を下山して澄夫とヨシエ夫人を自宅まで送り届けた後
朝迎えた駅で瑠璃乃が玄黒の車から降りる前に
「今日はどうだった?」と尋ねると
「ありがとうございました!楽しかった!でも少し疲れました!、、」
と答えて作り笑顔で手を振って降りていった。
しばらくの間、車の中から瑠璃乃の後ろ姿を
見送っていた玄黒と田鶴は
どこか瑠璃乃の肩が落ちているように思えた。、、、、
瑠璃乃が 今米国のロサンゼルスの法律事務所で働いていますと
連絡をくれたのは半年後の師走の寒い日であった。、、、
玄黒は、春先に庭にアゲハ蝶が飛んでくる度に
亡くなった澄夫と渡米した瑠璃乃の出会いを成功裡に果たせなかった
この時のことを必ず思い出してつくづく申し訳ないことをした
という思いで胸が詰まるのだ。
澄夫が大好きといった「ギンリョウソウ」はまさに澄夫そのものだ。
寡黙に俯いて居候しているように見えて実はひっそりと
見えぬところで支えて生きようとする姿は
地上の植物達が光合成で作った有機物などをその植物達に
寄生している菌根菌の性質を持つキノコなどから間接的に体内に取り込み
一方で菌根菌と共に形成した菌根から土壌中のリンなどの養分を
吸収して地上の植物達に菌根菌を通して供給するという
互いに3者共生して生きる「ギンリョウソウ」の姿とどうしても重なるのだ。
もしことがうまく成就していたら
きっと瑠璃乃は菌根菌のように澄夫と共に菌根の形成の役割を担って
今頃は玄黒夫妻と澄夫に挟まれて微笑んでいるに違いない。、、と
そんな夢想をしながら同時に
翻ってみれば自分はこれまで何かにつけて
相手にも自分にとっても良かれと思ってして来たことは
徒労に終わった事ばかりだった様に改めて思い起こされて
その日の青空を見上げ吹きつける寒風に急いで襟を立てた。
2024年10月吉日 終稿
